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黒部五郎岳

日程 2005年7月16日〜18日
地域・山域 北アルプス
メンバー 吉田、辻、左海、池田
報告 池田

ルート/タイム

7/16 天理(6:00)…東海北陸道(飛騨清美)…卯の花街道・神岡町経由飛越トンネル(12:00/30)―
分岐(14:30)―寺地山(15:50)―北の股避難小屋(16:50)
7/17 避難小屋発(5:30)―北の股分岐(7:10)―北の股岳(7:30)―赤木岳(8:00)―中俣乗越―
黒部五郎岳(10:30)―中俣乗越―赤木岳(13:40)―北の俣岳(14:15)―分岐(14:20)―
避難小屋(15:50)
7/18 避難小屋発(6:20)―寺地山(7:10)―分岐(8:10)―飛越トンネル(10:00)…天理(18:30)

7月16日(土)

梅雨空と道中の雨に今日は合羽を着ながらの山行になるかと、あきらめが入りながら現地飛越トンネルに到着すると雨も上がり、すでに5、6台の先着。今日宿泊の避難小屋の定員(10人)を気にしながら、昼食もそこそこに登山準備を行い登山を開始。分岐までは花の終わった(花を熊が食べるとか)大きな水芭蕉と登山道の両側にはニッコウキスゲが盛んに咲き始めていた。分岐までは、緩急はあるがほぼ登りとぬかるみの連続で約2時間で分岐に到着する。(神岡新道は利用者が少なく登山道の整備がされていないと表示されていた)
ここから寺地山までは同様に登りのぬかるみが続き歩きにくい道が続く。約1時間で手地山に到着するが視界はない。ここで朝早出の登山者に会い、8時頃に寺地山手前で熊に遭遇との情報で一瞬背筋が寒くなる。が気を取り直して約1時間で避難小屋到着。先着が8人有り、これは宿泊は無理かと思ったが定員3名の新館が床下にできており宿泊可能で安心。到着が遅かったことも有り早々と夕食を済ませて同宿の犬山山岳会のメンバーと交流を深めて就寝。

ニッコウキスゲロード

非難小屋

小屋の雉場


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7月17日(日)

4時頃起床に5時30分にいよいよ黒部五郎に向け出発する。池頭内の木道とツヅラ折れの登山道を石楠花やコバイケイソウ・ニッコウキズゲを横目に見ながら登りはじめたがガスで視界が悪く約1時間40分で北の俣分岐に到着。(まだ雪が残っておりハクサニチゲのお花畑を見ることはできなかった)ここでガスが晴れて薬師・水晶・赤牛岳、それに槍ヶ岳まで展望できた。
ここから太郎平からの登山者と合流となる。(意外と人数が多かった)北の俣・赤木・中俣乗越とアップダウンの繰り返しと高山植物のお出迎えで黒部五郎岳に向かうが、またガスによる視界不良と風で気温が下がり足元ばかりを見る山行になる。しかし、黒部五郎に取り付くあたりから徐々に天候が回復し、ピークに近づくとほぼガスが消え黒部五郎のカール・黒部五郎小屋・雲の平小屋まで展望が開け、しばし写真撮影を行いまた。往路と同じアップダウンを繰り返し避難小屋への帰路に着く。今度は往路と違い天候が回復し、また花が咲き始めており趣の違う行程となり無事避難小屋に到着。

薬師岳をバックに

黒部五郎岳

黒部五郎岳山頂

尾根から望む薬師岳

小屋付近の池頭


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7月18日(月)

5時頃起床し往路(7/16)と同じ行程でトンネルまで向かうが、今度は登りの登山者に行きと同じ場所あたり(寺地山手前)で熊に遭遇との情報があり、ラジオを鳴らしたり、笛を吹いたりと緊張しながらの下山となる。車での帰途は、温泉で3日間の汗を流しと蕎麦を食し無事天理に到着する。

※今回の避難小屋
定員13人、水場は小屋の前、雉場は水洗(北の俣川の支流に直通)で囲い有り快適な小屋であったが定員が少ないので人の多い時期はテント持参が必要。避難小屋で水を補給しておけば水に苦労することはない。

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