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南木曾岳

日程 2007年11月17日
地域・山域 長野県南部・南木曾岳
形態 ハイキング
メンバー 辻、池田、伊藤、清岡
報告 清岡

11月17日(土)

南木曾岳はS夫人推奨の木曾谷沿いの中仙道から少し入った所にある山です。四年程前に同夫人他3名で恵那山を登った翌日、登る予定で登山口のキャンプ場の駐車場にテントを張ったが、翌朝が雨で中止した山で今回はリベンジ山行となる。テントを張ったなつかしの駐車場に10:10に着。周辺のキャンプ場は今年の暖秋で紅葉が未だ真っ盛りである。落葉松林の黄金色が日に映えて見事であった。
10:30登山を開始。暫くは、キャンプ場の自然遊歩道であり、木樹の説明の名板が掲げてあり興味を持って横目で追いながら進む。少し行くと本格的な登山道となるが朴の木の沢山あるのには驚く。総て落葉しているが、登山道や周辺に朴葉が累々とある。大きい朴の葉がねじれて裏返り銀色になっているさまは、さながら魚が腹を出して浮いているように思えて、余り良い気分ではなかった。
1200m位のところから登山道が分かれて上り道と下り道の表示板がある。二万五千分の地図では直登であるが、その理由は下りてきて初めて分かった。時計回りに左側の道をとる。この山域は花崗岩が多く山麓からも岩塊が山のあちこちに見られたが、登山道もその大小の花崗岩がごろごろしている。大きいものは四畳半ぐらいの大きな花崗岩を乗り越えて進む。また、枯れ谷を越えるところは大きな岩が累々として歩きにくいこと。そして、いたるところに、今にも朽ちて壊れそうな木の橋や梯子が殆ど頂上まで続いている。おまけに、木の根っこが、地上から20〜30センチぐらい浮いて絡まっているところも多い。このような登山道は下りるときも全く同じである。この悪路に慎重な歩行が強いられ、今回は根をあげそうになった。今世紀の登山で最悪のものとなりそうである。
しかし、頂上近くにはこの山域では珍しく「高野槙」の自然林が目を楽しませてくれる。その数の多いことと大きいのは今まで見たこともない。大きいものは幹周りが4メートル位のものや、小さいものでも抱えられないほどである。
2年ほど前に皇位継承が話題に上ったときに、天皇家の秋篠宮家にご長男がご誕生され悠仁親王と命名され、その親王の「木」が高野槙と指定されたそのことが、この自然林の中に立派な説明版を建てて書いてあるのには驚いた。関係者のご苦労と心意気には感心させられる。
頂上の三角点がある周囲は樹林で展望はないが、そこから2〜3分行ったところに展望の大きな岩があり、冠雪した御岳が指呼の間に見える。その右側には乗鞍が見えるが残念ながら上部は雲に隠れている。東西に平べったい形の尾根道を西に向かうと避難小屋がありその先に、中央アルプス連山が見渡せる展望箇所が続く。遠く、白い奥穂と西穂が確認できた。
登りと同じような悪路に神経を使いながら降り、分岐に来て初めて一方通行の登山道の理由が分かった。それは、梯子が至るところにある道を登山者が上り下りしていたら、時間が掛かってしかたがないからであるという、推論です。

翌日は、その北にある風越山に行く予定であったが、山頂で話しかけたガイドのお奨めと、その山も候補に検討していたこもあり中央アルプスの南端の摺小木山へ行くことになる。林道を登りきったところに無人の小屋がありそこから摺小木山まで約4時間で往復でき頂上付近は日本庭園の景観であるとのことである。
下山して、東沢林道に入るが、悪路で、入口に登山者の車は進入禁止の忠告が掲げてある。岩石などの崩壊が激しく危険であるとのこと。暫く進むといかにも今にも落ちてきそうな岩の斜面が目につき、車を停めて、恐怖の沈黙。奈良山へ山行変更のメールを入れなければ探してもらえないとのことで、メールしたが圏外となる。
通行止めになっていないのだから、「行ったらええで」の一声で進む決断。
暫くは、えらい林道へ入ったという心配が頭から離れなかったが、途中で降りてくる車に出会い、何とかいけることを確認して小屋に着く。
小屋は寒々していたので、中にテントを張り、盛り上がったが宴を早々に切上げ7時過ぎに就寝。翌朝は一面にガスに包まれ風に雪が舞い薄っすらと積雪してきたので、中止して帰路につく。大平峠からの小池峠にいいたる県道からの落葉松の黄金色の紅葉は今年のヒットでした。
(所要時間4:15、昼休憩約40分含む)

南木曽岳の上部

南木曽岳の頂上にて

南木曽岳の稜線

太平路の紅葉

落葉松林の紅葉


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