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モンブラン登山紀行

日程 2005年7月17日〜26日
地域・山域 ヨーロッパアルプス ・ シャモニー
メンバー 清岡、伊藤
報告 清岡

1.計画概要

気の置けない山の仲間に「ヨーロッパアルプスへ行こう」という誘いを何回かした。引率ガイドを受け持ち案内するよとの甘言で数名の仲間が集まったかに見えたが、結局、伊藤さんとの二人の旅となってしまった。
ほとんどの人がそうであるように、彼女も、おのぼりさん的な山であるモンブランかマッターホルンを希望した。頂上まで同行できること、ならびに天候的に可能性の高いということでモンブランを選ぶこととなった。
現地での高度順応トレーニング、時差で変調した体力の回復ならびに休養日や予備日など考えてシャモニー滞在を7日、往復旅行日3日を考えて、7月17日出国、26日帰国の10日間の計画をすることにした。
現地へは二回目である為、事情はある程度分かっていたが、前回は8年前であり今回の計画では、特にガイド組合との折衝と高度順応に十分な気配りをして臨むことにした。ガイドの手配や山小屋の手配はメールでのやり取りでパーフェクトにできた。(実際は10数回のやり取りならびに宿泊ホテルからもガイド組合へ出向いてもらったりしたが)
高度順応には、日本での富士山登山から始め、現地で4248mのピークを踏み、その後、約500メートル高いモンブランへと体を順応させていくこととした。その意味では、順調にその目的は果たせたかに見えたが、高度順応の鉄則を無視した連続登行の愚かな判断で、彼女に4380メートル地点でギブアップさせるという結果を招くこととなった。(詳しい事情、経過は後述)

全行程の行動概要は添付の「シャモニーモンブラン登山計画(実行内容)」を参照ください。 天候は非常に安定しておりラッキーの一語です。(同添付参照)
以下にポイントとなる山行を記述いたします。

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2.エギュ・ルージュ針峰群のトレッキング

シャモニーの谷の北側に聳える針峰群で、そこから対岸のモンブラン山群、エギュ・デュ・ミディからシャモニーのほとんどの針峰群がラインアップした雄大なパノラマが眺められる素晴らしいトレッキングコースである。
7/19、時差ボケを解消し体調を回復させるため、ホテルを9:30出発。昨夜の雷雨で水嵩が増し激しい激流のシャモニー谷沿いの小道を散策しながらケーブル乗り場まで行く。氷河に源を発する乳白色の激流を見つめていると引き込まれそうで恐怖を感じる。

プラというゴルフ場のある小さな村まで行き、そこからケーブルカーに乗り、中間駅のフレジェールでフード付のゴンドラ乗り換えてアンデックスまで登る。標高1300mを一気に上り、2485mのアンデックスに着く。トレッカーよりクライマーの方が多い。針峰の岩場のいたるところで岩に取り付いているのが色とりどりに小さく見える。朝から空は少し曇っていたが歩き出すころには、紺碧の空が現れはじめた。

標識はあまりないがコースは整備されていて、針峰の岩場を反対側へ越えるところは鋼製のステップや鉄棒の手すりが完備していて何の不安もない。ここを越えるとなだらかな岩の広場で岩に囲まれた小さな湖が青く水をたたえているのが見下ろせる。日本なら池塘という感じだ。暫くして、また、シャモニーの谷側に岩場を越える。 天候が完全に回復したようである。青い空をバックに、ゆったりした白いモンブラン山群を始めシャモニーの針峰群のパノラマの雄大さに絶句してしまいそうである。
なだらかな道をケーブルカーの中間駅のブランブルまで行きケーブルでシャモニーへ。
(歩行時間:3時間30分)

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3.モンブラン・デュ・タキュール(4248m)

ミディ直下の北東稜

前日(7/19)ガイド組合で今回のガイドのギョーウム(29歳)に面会した。約束どおり、6:10 始発のケーブルカーに乗るため少し早めにホテルを出て、約5分ばかりのところにある乗り場に行く。ガイドは既に来て待っていた。
「ボンジュール サバ!メルシー サバ ビヤーン エ ヴ?」と憶えたてのフランス語で挨拶を交わす。
頑強で胸の厚い180cm前後のクライマー達で予想以上の混雑振りである。結局、始発のケーブルカーには乗れず次発に乗る。中間駅で乗り換え約20分で3800mのエギュ・デュ・ミディに着く。

針の先のような岩峰の上に作られた駅から岩のトンネルを通り氷が張りついた出口の所で、ハーネス、クランポンなどを着け、ザイルを結ぶ。清岡、伊藤、ガイドの順で、恐ろしく切り立った北東稜のナイフリッジを急下降していく。恐怖感はないが腰が引けて心臓が高鳴る。15分ぐらいでなだらかな氷河に降りる。ミディ駅の南面に垂直にそそり立ったみごとな花崗岩の岩壁を眺めヴァレ・ブランシュの氷河を約40分進む。
ミディのコル周辺にはクライマーのテントが数張り点在している。帰路に、これらのクライマーが垂直の壁に取り付いているのが見られた。そこからタキュールの北東側の急斜面を登り始める。

 

ピークから見るグランド・ジョラス

先発隊が雪面の上部まで点在して登っていくのが見えるが相当な急登である。ガイドがトップで伊藤さんが真中で、直登や斜登を繰り返し、時には、大きなクレバスを迂回する。肩までほとんど休むことがない。急登ではロープは垂直に張り伊藤さんのクランポンを頭の上に見ながら雪壁を登る厳しい状況が続く。
約1.5Hで肩に到着。視界が開けて前面にモン・モディからモンブランへの稜線、更に、その向こうには明後日のルートであるグーテのドームが見える。快晴で眩しい。ここで少し休憩をして給水する。オレンジジュース2本と水1本を持ってきたが一回で小さなペットボトル半分ぐらい飲むありさまである。そこからしばらく、なだらかな広い雪の尾根であるが段々傾斜がきつくなり頂上付近、30mぐらいの高さに岩塊が重なり直登となっている。岩には氷が付いていないがステップ箇所は氷がびっしり張りついている。慎重に登るが喉がカラカラの緊張が続く。風がほとんどないのが幸いである。
丁度、9:30 に頂上に着く。標高差700m をガイドのペースに引っ張られて二時間で登ったことになる。息苦しくしんどいのは無理がない。しかし、頭痛、軽い目まいや気分が悪くなるという高度障害の症状は全然ないのがうれしい。快晴で風がほとんどない。頂上はそんなに広くない。岩塊の最高点にステン製の十字架(中が無い)が立ててあるが、不似合いの感じがする。他の登山者が2名だけだったので、頂上で約30分休憩した。十分な水分補給と果物やパンを食べ360度の景色を楽しみデジカメのシャッターを盛んに押す。伊藤さんも同様に元気である。

ピークにて

下山のとき、岩塊部はかなり慎重になったが、後は、私がトップになりガンガン飛ばして降りた。しかし、ミディのコルから駅までの長い緩斜面と最後のやせ尾根の急な登りは強い太陽光線を浴び疲れも加わり、へとへとにスタミナを使い切ってたどりつくこととなった。
無事、累積標高差1000mを4時間55分で往復したが、最後の疲れを見て、ガイドはスタミナ切れの心配をしはじめたようである。今日の調子だと「ミナ」は(ガイドは伊藤さんをミナと私をコウジとファストネームで呼んでいた)モンブランは無理だと思うと、言い出した。勿論、決めるのは我々二人であるので望むなら(プレファーという言い方をよくした)案内はすると強調するのだが、他の山に変更したほうがいいと失礼なことを言い出した。
イタリヤ側に4000m位の素晴らしいところがあるのでそこを案内してもいいと提案してくる始末である。ホテルへ行って地図を見て話し合いをしようということになった。

日本では抜群のスタミナを示している伊藤さんも、モンブランを諦めざるを得えない体力なのかと思ったり、それならいっそうツエルマットへのトレッキングに変更しようかとか色々なことを考えながらホテルに着いた。
ホテルで暫く話し合いをしたが、伊藤さんは、モンブランに登りに来たのであるから、途中までしか行けなくとも、それでも私は十分満足ですと、はっきり意思表示したので、ガイドにその旨伝えてモンブランを目指すことに決定した。

シャモニーからのモンブラン

しかし、グーテ小屋からの中間地点であるバロー小屋(今回のG地点付近)に5:30頃までに到着できなければ、帰り道(グーテ小屋からの下山)が遅くなり、落石などの危険が増すため、そこで打ち切らざるを得なくなるとの条件をつけた。
グーテ小屋を2:30 に出発するタイムスケジュールで話し合いをしていたので、調子がよければ十分いけるだろうし、それより時間がかかるように疲労がたまってくるようなら、その時は諦めざるを得ないと思うようになってきた。
明後日、7:40 にガイドが車でホテルに迎えに来るとの約束を交わして分かれた。
オルヴワール! オルヴワール!(じゃそのとき、また!)

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4.モンブラン(4810m)

 

昨日(7/21)は一日休養日で体力回復に努めた。あまり動かないのもいけないと思い、町に出てショッピングや美味しいものを食べたりしてゆっくり時間をすごした。
今日は、いよいよモンブランへのスタートの日である。約束の7:40 きっかりにガイドのギョームが迎えにホールにやって来た。
ボンジュール! サバ? サバ トレビィヤーン メルシー 。エ ヴゥ?・・と、お互いに挨拶と握手を交わして出かけた。
車で約20分でレ・ズシューの村のケーブル乗り場の駐車上に着く。トランクからザックを降ろすとき重過ぎる、中をチエックすると言った。そして、要らないものは徹底して省いた。例えば、アイゼンカバーや予備に入れていたシュリンゲなどまでもトランクへ入れることとなった。

 

 

8:10 の始発のケーブルに約10分乗り標高1800mのベルビューに着く。2〜3分歩き登山電車の乗り場に行くと下から上がってきた電車は既に到着して止まっていた。ギヤ駆動の二両編成の小さい電車であったが未だ空席はあった。30分ばかり停止していてケーブルで上がってくる登山者を乗せて8:40の定刻に発車した。
ガタゴト、ガタゴトと駆動ギヤの振動が伝わってくる。高度を上げるにつれて下の方に緑の高原の景色が広がり、また、頭上にこれから目指す真っ白なグーテ針峰が迫ってきて興奮が高まってくるのを感じる。まもなく、終点の駅、ニー・デーグルに着き、靴紐を締めなおし8:55 歩行開始する。
ここは標高2372m、ここからグーテ小屋3782m まで、標高差1410mが今日のアルバイトである。
テートルースの小屋前で少し長めの休憩をとり食べ物をとる。ここから緩やかな雪面を抜け落石の巣のクーロワール(大きなゴジュル)を越すと小屋まで650mの岩稜となり、ジグザクによじ登っていくことになるので、ここでハーネスとヘルメットを着用して、ガイド、ミナ、コウジの順でアンザイレンして出発した。クーロワールに近づいてくると、頻繁に落石が起こっているのが聞こえて、落石が飛び上がりながら下へ落ちていくのが見えてくる。このクーロワールを挟んで登下山の登山者が両側で、落石の止むのを待ち、チャンスを見計らって駆け足で交互に通り過ぎていく。

 

我々もガイドに引っ張られるようにチャンスをみて、60〜70mの距離を駆け足で渡りきった。そこから技術的にはそんなに難しくない岩場を登ることとなる。しかし、休憩が少ないので思うように体が動かない。危険な箇所はワイヤロープがびっしり張りめぐらされていて何の不安もない。晴天が続いているのでこの岩場には雪がなく、またホールド箇所が多く、二人にとって何でもないところであるが矢張り腕が疲れて、時々、足が上がらなくなってくる。途中二回ぐらい休みをいれてグーテ小屋に13:35 に着いた。
ニー・デーグルから1410m を4時間40分 で上がったことになる。テートルース小屋の30分の休憩をいれての時間であるから、やはりガイドの速度は速いと実感した。

グーテ小屋にて

快晴で無風、寒さはない。周囲の景色は素晴らしく十二分の満足を実感した。小屋はがらりと空いていた。一通りの手続きをして今夜のベットを確認して食堂で休憩しながら持参の食べ物を食べたりして過ごしていると、ガイドから意外な提案が持ち上がった。コウジ、これから頂上を目指すのは如何か?というのである。一瞬、耳を疑った。ガイドの下手糞な英語を聞き取れないのかと思ったりした。そんなこと可能なのかと詰問した。
すると、明日に、頂上を目指す方がいいのなら(またプリファーという表現で、コウジが決めることだというニューアンスで話す)そうするが、明日は天候が崩れるかもしれない。今日は稀有の快晴だ。少し休んで食事をして15時に出発すれば19時過ぎに着く。下り2時間半位みとけば21時30分頃に降りてくることが出来る。
テートルース小屋泊まりで、天候に恵まれれば日帰りできるコースである。など、実現可能な条件ばかり話す。
今回の登山では、特に伊藤さんが始めて経験する4000メートルをはるかに超える高所を目指すのであるから、高度障害の対策や知識(東京医科大高山医学研究所の手引きなど)を復習してきた積りであったが・・。

頭が愚かな方向へ動き出していたことは確かだった。あとから考えると、「ノン。オポジション」(それは駄目だ。反対だ。)と言うべきだった。暫く時間をくれ、と言って、伊藤さんとも相談することとした。しかし、頭の中の返事は「ウイ」になっていたのかも知れない。それは、早朝2時に起床して十分な睡眠ができない憂鬱な気分で食事も十分取れない状況で、2:30頃、ヘッドラで暗がりの中を黙々歩くのを避けたいという気持ちが、心のどこかに宿っていたことは確かである。また、途中でギブアップすることになっても昼間なら景色を楽しめる。そのほうがいいかもしれないという気持ちもあったんかもしれない。
しかし、これから上ることは、一昨日、ガイドがミナにはモンブランは厳しいと、いったことと矛盾するのにと自問する。
どうせギブアップなら天候のいいときに案内するほうが、クライアントサービスになると思っているのか、など色んな想念が頭を駆け巡った。
伊藤さんと暫く話していると「それなら行こうか」の結論となってしまった。私が誘導的なニューアンスで話ししていたとすれば、ビックミステイクを犯したことになる。ガイドにその旨伝えて食事をすることにした。厚く切ったベーコンがいっぱい入った美味しいパスターを食べたときは、本当に元気になっていた。

ハーネスを付け直しアンザイレンして、ガイド、清岡、伊藤の順で14:55 に出発。太陽がぎらぎら照っている午後3 時過ぎであったが、さすが4000mの高所では雪はしっかりと締まっていて歩行には支障がなかった。
小屋から少し歩いたところにテントが5〜6張りあって、男女が雪面に寝そべってほとんど裸で日光浴をしていた。ボンジュルネ!と声をかけた声援を送ってくれる。
前方には大きなグーテのドームが続いている。上のほうに米粒ほどの登山者が見える。この時間に降りてくるのであるから、高度障害などで苦労して疲れた下山だろうと、これからの自分たちが同じように苦労することなど考えもせずに、順調なペースで歩を進める。
グーテの頂上の右側をトラバースするまで、二回ほど小休止をした。頂上近くなり、伊藤さんが疲れを訴え出した。しかし、それを超えドームのコルまでの緩やかな下りでは、また、元気を取り戻したようだった。
この辺でも、下山途中の頑強なクライマーが高度障害で歩けなくなっているのか、ザックの上で倒れたように寝そべっている登山者を見かけた。4000mを過ぎても、我々は高度障害の症状を感じなかった。

この辺からバロー小屋が前方の高台に見えだした。小屋の高度までは一息入れる高さがあり、その登り面に青色の幅10m位の氷のバンドが横たわっていた。ピッケルとクランポンを慎重にきかせてジグザクに登る。
この辺から伊藤さんの疲れが顕著になってきた。ロープにテンションが懸かりすぎるのでガイドがコウジ、ミナは大丈夫かと声をかけだした。たびたび小休止を繰り返しながらバロー小屋の高さに到達した。
そこで長めの休憩をとる。目の前100mの処の岩の上に鈍い銀色のバロー小屋がある。
糞尿の臭いがしてくる。汚いものが小屋の脇から岩の下へ固まりになって盛り上がっているのが見える。
少し歩き出すが、伊藤さんは息をするのがしんどいと何回も小休止をいれる。ガイドは頭がいたいのかどうか聞くが、息が苦しいだけだと返事する。
止まると正常に戻るようであるが、疲れでやつれた様子が顕著になってくる。時間を見ると17:25過ぎである。グーテ小屋から2時間30分 のペースでここまできた。決して遅くない。早めのペースだ。しかし、高所登山では、これがいけないのである。

ガイドのペースに合わせていると、登れる山も登れなくなる現実に直面した感じだ。
後、1:5〜2:0 時間掛ければ頂上を踏めるところまで来たが、最後の判断をすべき時が来たと感じた。ガイドは19:00 まで時間の余裕があるから休憩しながらいこうと何回も励ました。しかし、伊藤さんはここ迄で十分満足です。これ以上登れない旨の意思表示をした。
申し訳なく感じているのが伝わってくる。ガイドに手を合わせて、ソーリ、ソーリと言っている。
伊藤さんが一人でバロー小屋で休でいるから、二人で頂上を目指すよう言ったので、そのことについて、ガイドに話してみると、それは駄目だ、グーテ小屋の安全な所までロープは絶対に解かないと一蹴された。苦しんでいる彼女を励まして、これ以上、少しでも上を目指しても、所詮、同じ結果であると判断して、ガイドに、下山を告げた。
ガイドも残念に思っているのがその表情から読み取れる。ミナ(ここまででも)ハッピーかと気遣っている。屈強そうに見えるガイドであっが、若くてやさしいところがあるのだ。

下山が決まり気楽になったので腰を下ろして、暫く、食や水分を取ったりして休む。打ち解けた楽しい雰囲気で、到達した最高地点(4380m)で、お互いにガイドと記念写真をとる。ここを、G点(ゴール、ギブアップ?)と名づけた。
ここを出発する前に、ドイツ人の二人のパーティが大きなザックを担いで上がって来た。ガイドと話していたが、本日、テートルース小屋を出てきたようである。なんと、遅いペースか。いや、このペースが良いのかもしれない。
下りは誰に会うこともなく、伊藤さんがトップでガンガン飛ばして、19:20 にグーテ小屋に着く。
小屋の食堂は空っぽで静まり返っていた。明日の早朝が早いので、既にほとんどの登山者はベットに着いていた。特別の夕食をガイドの接待でご馳走になり、気持ちを切り替えて就寝した。
翌朝6:55、ヘルメット着用、アンザイレンして、清岡、伊藤、ガイドの順で下山する。伊藤さんも元気で十分満足している様子なので、三人とも頂上を踏んだような満足した気分で早々にレ・ズシューの駐車場についた。
三人で洒落たカフェーに入り冷たいビールで喉を潤した。(ガイドは炭酸水)

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5.その他

(1) 旅費の内訳

(2) 物価は感覚的にかなり高い。ホテルもシャモニーは2星、ジュネーブは3星
   の比較的安価のところであったが高く感じた。
   また、レストランなども観光地であるためか日本の1.5〜2 倍の感じだった。
   両替の手数料も馬鹿にならず。カードの使えるところはカードを使った。
   また、銀行の機械からカードで現金が引き出せるのも利用すると便利である。

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