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北鎌尾根〜西穂高岳縦走

日程 2006年8月4日(前夜発)〜7日
地域・山域 北アルプス
形態 縦走
メンバー 佐々木(単独)
報告 佐々木

はじめに

北鎌尾根から西穂高までの縦走はもう何年来の夢だったろうか。数年前に友人が成し遂げてからは何とか自分も実現させようと機会を待っていたが歳を重ねるたびに計画は遠のいていった。更に去年の骨折でますます夢のままに終わりそうになっていた今年、それまでくすぶっていた北鎌の計画が具体化してきた。このチャンスを逃すともう実現しないだろうと腹を決めて穂高縦走を決行することにした。
当初、米原・津久井組は中房から入り大天井ヒュッテ泊で翌日貧乏沢を下降し北鎌沢の出合に出る。私は上高地から天上沢を下降し出合で幕営し二人を待つ。三人で北鎌を縦走し槍ヶ岳で二人と別れ西穂高を目指す。これが当初の個人的な計画であったが諸般の事情により二人がキャンセルとなりパーティーとしての北鎌行はなくなった。しかし、自分の中ではたとえ北鎌が単独行になったとしても決行する決意は強くかたまっていた。

ルート/タイム

8/3 奈良(19時発) … 平湯温泉(車中泊)
8/4 平湯 … 上高地 ― 徳沢 ― 横尾 ― 大曲 ― 水俣乗越 ― 天上沢下降 ― 北鎌沢出合(幕営)
8/5 北鎌沢出合 ― 6P頭 ― 北鎌沢のコル ― 天狗腰掛 ― 独標ピーク ― 北鎌平 ― 槍ヶ岳 ― 槍の肩(幕営)
8/6 槍の肩 ― 大喰岳 ― 中岳 ― 南岳 ― 北穂高岳 ― 涸沢岳 ― 白出のコル(幕営)
8/7 白出のコル ― 奥穂高岳 ― ジャンダルム ― 天狗の頭 ― 間ノ岳 ― 西穂高岳 ― 上高地 … 奈良

8月4日(金) 上高地〜北鎌沢出合

上高地(6:15)〜徳沢(7:45)〜横尾(8:45)〜槍沢ロッジ(10:05)〜大曲(11:10)〜水俣乗越(12:35)〜天上沢下降
〜北鎌沢出合テン場(14:50)
【実動8時間35分】

3日前夜発で23:00 に平湯温泉着。アカンダナ駐車場の開門が3時なので温泉の駐車場で車中泊。早朝、駐車場に移動しシャトルバスで上高地に入る。久しぶりの槍沢である。車中泊であまり眠れず体が重い。食欲が無く朝食のコンビニパンも雨蓋に入ったままで何も食べずに歩き始めた。食欲不振はこれから始まる長丁場に向けての緊張感のためなのか。ルート的には初めて歩くところはない。それぞれのパートはほぼ頭の中に入っている。その行程を知っているだけにその重さを無意識のうちに体が実感しているのかもしれない。
明神に7:00 着。これではいけないとクリームの小パンを1つ腹に入れる。
7:45 徳沢着。上高地からきっちり1時間半。しかし、なかなかエンジンがかかってこない。体がだるいし、とても眠い。果たしてこのような状態で西穂まで行けるのか不安になる。
8:45 横尾着。しばらく休憩し無理矢理残りのクリームパンを胃の中に押し込む。
10:05 槍沢ロッジ。この辺りからさらにペースが落ちてくる。
11:10 大曲から水俣乗越を目指して沢中を登っていく。あれほど賑わっていた槍沢とは違いまったくの独りぽっちである。しばらく沢筋を登りそれから右岸の巻き道に入っていく。槍から東鎌を通って下山してきた二人連れに出会っただけで水俣乗越に12:35 に到着。槍ヶ岳山荘に常駐している慈恵医大診療所のOB医師としばらく高山病について話をする。
20分の休憩の後に医師に見送られて天上沢を降り始める。急勾配の下りが続き何度も尻餅をつく。遙か下方の雪渓に2パーティー5人の人影を確認する。北鎌アプローチへ天上沢下降を使うのも一般的になっているのだろうか。雪渓はシュルントも無く、念のために持ってきた軽アイゼンも使わずじまいで沢筋に下降した。
途中で休憩している二人づれに挨拶をして14:50 に出合のテン場に到着。すでに1パーティー3名が先に着いていたが出合のテン場が分からず沢横の窮屈な場所にテントを張っていた。出合のテン場は少し降ったところにある。6張くらいは可能ではないだろうか。もちろん私はベストポジションを頂いた。河原にマットを敷き休息する。
ぽつぽつと別のパーティーが入ってきてテントを張りだした。幕営は単独二人、四名、二名の4パーティー。さらに翌日貧乏沢下降組が各二名2パーティーで、私が確認出来た範囲では五日に北鎌に入ったのは計6パーティー12名であったと思われる。どちらにしても自分独りではないのだという安心感が大きい。あまりに疲れを感じたので早々にラーメンを流し込み16時には横になった。

水俣乗越

水俣乗越から天狗原 左に北穂高

水俣乗越から天上沢

水俣乗越から独標

天上沢下降途中からの穂先

天上沢から北鎌尾根 右端独標

北鎌沢出合は左に回り込んだところ


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8月5日(土) 北鎌沢出合〜槍ヶ岳

起床(3:15)〜北鎌沢出合発(5:00)〜6Pの頭(8:10)〜天狗の腰掛け(10:00)〜独標ピーク(12:00)〜
北鎌平(15:30)〜槍ヶ岳(17:00)〜槍の肩テン場(17:40)
【実動12時間40分】

5:00 に出合を出発する。あまり緊張感は感じない。テン場の様子を見ると私は二番手の出発となった。体力を温存する為に極めてスローペースを心がける。単独行は不安要素も手伝い往々にしてハイペースになりがちである。時には声に出して「スロースロー」と言い聞かせる。15分も行けば左股との出合である。
今はネット上で読み切れないほどの記録があるので左股に入っていくものはいない。かつて福本前会長と梅屋さんが左股からのアプローチに挑戦し果敢に闘われた話を聞いたが頭が下がる思いである。ところが驚いたことに稜線上で四人パーティーから「あなたの隣に幕営していた単独さんが左股に入っていくのを確認した」と聞かされた。敢えて左股を選択したのか、それとも殆ど下調べもせずに入山しているのか定かではないが、彼はその後どうなったのであろうか。テン場で話をした限りではそれほど経験のある方のようにはみられなかった。たぶん急雪壁の雪渓に行く手を阻まれ敗退したであろう。
そういう私も生意気なことを言えた柄ではない。このまま右股を詰めて北鎌沢のコルに抜ければいいものを、まぁ滅多に来るもんじゃないとの気持ちから今回は6Pの頭に抜けてみた。少しは記録を読んではいたのだが、これが予想以上に微妙なトラバースあり、草付きのいやらしい急斜面あり、V+ の草付き垂壁クライムに過酷なモンキーありで、おまけに最後はハイ松の藪こぎでピークに抜けたときにはもうへろへろであった。稜線伝いに北鎌沢のコルに出たときにはほぼ予定よりも2時間近くの遅れで、体力も相当消耗しており肩で激しく息をしながら正直稜線ビバークも頭をよぎった。なぜに正直に右股を詰めなかったのかと自分を責めても後の祭りである。
今後のために北鎌沢のコルへの抜け方を記しておく。左股との分岐を過ぎ右股を詰めていくと左岸(向かっては右)からの枝沢に出合う。これを右に詰めていくと6Pであるが、そこには入らずそのまま右股の本筋を詰めていく。沢も狭まり右側が広く草つきの急斜面となったところで幾つかの踏み跡が見えてくる。出来るだけ右側の踏み跡を選んでいくとドンピッタリとコルへ出る。左方向(やや正面)を選択するとコルのやや上の方の縦走路には出るが急斜面ゆえに苦労する。前回、雨中のガスの中でルートが分からず左に入ってしまい草にしがみつきズルズル滑りながら冷や汗で登った。
しばらくコルで横になった後、疲れた体に鞭打ち「スロースロー」とつぶやきながら歩き始めた。10:00 天狗の腰掛け着。ゆっくりと休憩している四人のパーティーに追いつく。四人からの話を総合して二番手に出た私の最後尾が確認された。「あなたどこにいってたの?どこから現れたの?」と言われ苦笑しきりであった。6Pの頭に抜けたと伝えるとヤンヤヤンヤと賞賛されたが、私のルーファイが間違っていたのか決して賞賛されるようなルートではないとつぶやいてしまった。私がどた〜とひっくり返っている間に四人のパーティーの姿は消えてしまった。
しばらく休憩した後、重い体を励まし独標を目指す。大岩の抱え込みで始まる独標のトラバースのスタート地点で再び四人に追いつく。ここまでは踏み跡もしっかりしており迷うことは全くない。体力だけが必要である。呼吸が激しいために気管・声帯までが乾燥して声が出しにくくなる。お互いに訳の分からないことを会話し合って四人パーティーは先行していった。私は取り付きの日陰で再びどた〜〜である。
取り付きからは大岩を抱え込み岩壁の縁を下降しガリーをトラバースして向かい側のピナクルを回り込むところまでトラバースルートのほぼ半分が見渡せる。以前は大岩の抱え込みはフリーで回り込んでいたが、今回は緑色の工事用ナイロンロープのフィックスが張ってあった。貧乏沢を下降して幕営した四人組の話では、貧乏沢にも同じ種類のフィックスがあったとのことである。しかし、過酷な北鎌の自然条件の中での工事用ロープの耐久年数はどうなのであろうか。今回は新品であったが、数年後の危険度はかえってこのフィックスの為に増すのではないだろうか。切れれば確実に2〜300mは滑落である。
四人の姿がピナクルの向こう側に消えてしばらくして私もトラバースを開始した。ここで気をつけなければならないことは大岩の回り込みと、ピナクル手前のかがみ込みでの抜け箇所である。上の岩がかぶさっているので注意をしておかないとザックがカウンター気味にひっかかりバランスを失いドキリとする。落ちれば終わりである。ピナクルを回り込み200m行けばかの有名な「クラックのフィックスロープ」がある。そこで四人がワイワイやっている。リーダーの男性一人に女性三人のパーティーで、下から「のぼれな〜い」上から「こうやるんだ〜」なんてやっている。
今回の二つめの目標は独標のピークを踏むことである。普段は独標は巻いてしまうためにピークは踏まない。奈良山岳会の現メンバーで私の知っている限りではピークを踏んだのは福本さんと梅屋さんである。お二人の左股からの直登と違ってトラバース途中からのピークねらいという「月とすっぽんほどのレベル差」ではあるがピークから穂先を眺めてみたかったのである。稜線が一気に見渡せ、龍の背骨の彼方に槍の穂先がそびえ立つ北鎌からでしか見られない荒々しくも重厚長大なロケーションである。それを見ると必ず抜けてやるとの決意が湧いてくる。
ピナクルを回り込んだところから斜度のそれほど強くないフェースを登り始める。徐々に壁は立ってくるがホールドをひとつひとつ丁寧に点検・確認していけばムーブ的にはV〜W- 程度のクライムでピークに抜けることが出来る。天気がいいので槍の勇壮な姿に見とれてしまう。
稜線を辿り始めるとずっと下の方に四人パーティーが見える。「クラックフィックス」を越えた後、そのまま右に入る踏み跡を進んだようである。北鎌の地獄はこの「踏み跡」である。クイライムを避けて「踏み跡」を辿れば遙か下方へ導かれとんでもない登り返しを強いられる。槍の穂先は稜線上にそびえ立っており稜線からしか到達出来ないのである。「クラックフィックス」を越えてそのまま右の踏み跡に入るのではなく、やや左上に戻るような感じで一気に稜線を目指すことが大切である。すでに独標稜線上にいる私の姿を見つけて男性リーダーが下の方からザイルはあるのかと叫んでいる。ないと答えるとそれはやばいと答え、女性達もやばいやばいと言っている。下から見上げると稜線は相当切り立って見えるのである。
今回、当初からザイルは持たないと決めていた。前回は懸垂下降と穂先直下の右ルートを祠の真裏に登頂したいが為にザイルを持ってきたが、たったそれだけのために西穂高までザイルをかつぎ通すのは大変なことである。私の経験では稜線上での懸垂箇所は一カ所でありそこをうまく巻き、穂先は左チムニーから登りさえすればザイルはいらないのである。ただしこれはVから一部W級の岩登り能力が条件である。クライミングに自信のないメンバーが同行するならザイルが必要であろう。8〜9mm、30mで十分である。
独標から大きいものだけでも五つのピークを越えていく。おいおいこれを越えるのかいと思われるものも全て正面突破で越えるのである。独標から11Pへのコルも落ち着いてルーファイすればザイルは要らない。11Pを登っていくと懸垂下降の為のハーケンが打ってある。行き詰まっての下降であるが、慎重にピークを左回りに回り込めば抜けられるルートがある。
12Pを登り幾つかのアップダウンの不安定な稜線歩きを続けていくと一気にコルへ落ち込む場所へ出る。以前懸垂下降した場所である。慎重にルートを読む。右下の方にルートを見つける。途中から右回りで岩稜の下に降りたあとの踏み跡が見える。
正面の13Pはガレガレの崩壊尾根である。13Pを嫌っての巻き道であろう。それを選択せずに左側に見える懸垂用の支点のさらに向こうにあるチムニーを目指してクライムダウンする。正解であった。ドンピッタリ崩壊ピークの下に到達した。ふと気が付くと右下の巻き道を登ってきた男女二人組から待ってほしいと声がかかった。貧乏沢からの下降組であった。ヒュッテからは二組だそうで、そこで五日の北鎌トライのパーティーのほぼ全容がわかった。もう一組はまだ遙か下を巻いているとのことである。もう一人の単独行者は北鎌沢の左股を彷徨い。四人組は独標稜線の上と下で追い抜き。結局、13Pで再び二番手に復帰したことになった。
やはり北鎌は稜線勝負でありルーファイ命である。崩壊尾根を前にしてどうするのかと尋ねるので登ると答えると私に登れるのかと再度聞くのでそれは知らないと答えた。登り始めるとすぐ後ろをついてきた。崩壊尾根だから一人一人登らなければ危ないと上から言っても、どうやって登るのかがわからないのでついて行くと言う。
ピークに着きかけたころ12Pの頭からルートを教えてくれと声がかかった。振り向くと四人組である。その時13Pからみて初めて分かったことであるが、前回懸垂で降りたところにフィックスロープが垂れ下がっている。すると付いてきた女性の方が大声でそのフィックスに誘導しようと大声で説明し始めた。あのフィックスを使ったのかと聞くと使わずに左を巻いてきたとのこと。この尾根は他の山行以上に全てが自己責任であるがゆえに安易なことを言っていけないと話し、四人は四人の力量で自らのルートを見つけなければならないことを確認し前へ進んだ。次の日に北穂高で出会った若者(18時過ぎに穂先にいたそうである)の話によるとこの四人組は結局女性二人、男女各一名の二手に分かれ、六時過ぎに女性二人が穂先に到達し、遅れている男女組を待っていたとのことであった。たぶん女性一人がついて行けずに男性が付き添い、力のある女性二人を先にいかせたのであろう。
北鎌尾根で最も迷いやすい箇所の1つが13〜14Pだといわれている。13Pの崩壊尾根を越えてほっとした次にあらわれる14P。稜線の踏み跡が自然と右から巻いている。うっかりとそれにはまってしまった。出来るだけ早く稜線に抜けなければならない。弱点だと思われるクラックの下で付いてきた二人に、このまま行けばさらに下の巻き道に入ってしまうので自分はこれからここを登るがどうするかと尋ねると一緒に登ると言う。今度は離れて登ってほしいと伝えたがやはりすぐに付いてきた。もう必死なのであろう。途中で一度落石させ一番下から来ていた男性の足に当ててしまった。稜線に抜けて待つと女性の頭だけが出てきたが、落ちる〜と叫んでそのままで止まってしまった。落ちることはないと叱咤しながらホールドを教える。ホールドを押さえた瞬間ガラガラと彼女の足下から大きな音をたてて石が落ちていった。下は気にするな!とにかくアンタがまず上がるんだと励まし女性を上に上げる。やがて下の男性も上がってきた。北鎌はヘルメット必需品である。
やはり14Pもどこかに稜線直登ルートがあるはずであるが以前の記憶はない。今回唯一ピークをはずした箇所となった。しばらく稜線を進むと二人組が休憩をしたいので先に行ってほしいとのことであった。15Pを登っていると下の方に巻き道に入る二人が見えた。15Pのピークに達する頃にはもう考えられないほど遙か下になっていた。やや長い稜線を歩いて行く。すでに巨大な穂先がもう目の前に迫っている。
15:30 北鎌平着。振り返ると二人組はまだ下の方でザイルを出して登り返しを始めている。他のパーティーの姿は見えない。しばらくひっくり返って穂先を見上げる。槍の肩から見る穂先に比べなんと荒々しいことか。いよいよ最後の登りである。今まではペンキも標識も何もなかったがここからは赤ペンキがある。たぶん時間的に遅れてしまってヘッドランプで最後の登りにトライしなければならない者のためなのであろう。赤ペンキを辿ると下部のチムニーに入る。途中にシュリがぶら下がっており、そいつにつかまるとつい左に逃げてしまう。シュリを無視してそのままチムニーを抜ける。さらにしばらくペンキを辿ると上部のチムニーである。それを抜けると穂先の登山者の声がすぐそこに聞こえる。左には例の白杭が見える。左に回り込むと若者二人が「おお上がってきたぞ」と言いながら拍手をくれた。やや右を見上げると女性が覗き込んでいる。そちらへグイと登り抜けると祠の真横であった。「ごくろうさま」「おめでとう」の声が聞こえる。ペコペコと頭を下げながら独標を振り返る。
丁度17:00 ぴったりに穂先着。はしごの渋滞もなく、17:40 には幕営を完了した。とにかく暑く緊張した一日であったが充実した満足ある縦走となった。一度14Pのピークを逃したが、基本的には北鎌尾根の最短距離に近いラインを引けたのではないかと思っている。6Pの頭なんて特にいいルートでもないのに馬鹿なことを考えなければもっと時短で抜けられていたと思われる。しかし、暑かった。本当に暑かった。3Lの水は穂先の最後のひとのみで全てなくなってしまった。激しい発汗と大量の水で胃の消化液が薄まり、さらに口を大きく開けての呼吸で喉の奥まで乾燥したために殆ど行動食は食べられなかった。夏場の行動食はゲル系やコンデンスミルク系のものの方がいい。その夜は結局夕食も食べられずに甘納豆と水をさらにガブガブ飲みながら寝入ってしまった。
(注:各Pのナンバーは地図上の正確なものであるという確証はありません。)

北鎌沢のテン場 出発間際

北鎌沢右股を正面コルへ 今回は右奥6ピークへ

北鎌沢稜線 手前から7P・6P・5P

天狗の腰掛から独標

北鎌尾根から硫黄尾根を望む

独標のトラバース1 一旦降ってピナクルへ

独標のトラバース2 ピナクルへ

独標から穂先を望む1

独標のピークから2

13Pあたりから

北鎌平から穂先

槍ヶ岳ピーク


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8月6日(日) 槍ヶ岳〜白出のコル

起床(4:30)〜槍の肩発(6:07)〜南岳(8:10)〜A沢のコル(10:15)〜北穂高岳・大休止(11:47/12:38)〜
白出のコル(15:00)
【実動9時間】

北鎌尾根の緊張感から解放されたせいかやや脱力感に見舞われての出発となった。今回の縦走で距離的には一番長いルートである。ただただもくもくと今日のゴールの白出のコルを目指して歩き続ける。
今日のルートは穂高縦走のメインルートである。北鎌尾根とは違う趣のある景観が好きである。特に中岳や南岳から見る穂高連峰はなんと雄大であろうか。そびえ立つ北穂高。北尾根の突き上げる前穂高。奥穂高とジャンダルムにラインを引いて西穂高。そして、振り返るとそびえる槍ヶ岳と東鎌と西鎌の峰々。
雲ひとつない快晴の中でゆっくりと景色を楽しむ。その楽しみも南岳の小屋まででそこからはゼ〜ゼ〜ヒ〜ヒ〜の苦行となる。大キレットの下りから二人の同年齢二人組と一緒になる。私は今までと同じでスロースローである。二人はさっさと歩いて適当に休憩している。
今回初めて分かったことであるが、有酸素運動的にスロースローで歩き通すと水分を補給する小休止だけで歩き通せるということである。特に長丁場では出来るだけ足の筋肉に乳酸を溜めないことである。今回の縦走で一番怖かったことは足のツリ、すなわち痙攣である。特に大腿部からつってしまうともうどうしようもなくなってしまう。出来るだけ乳酸を溜めないようにするためにはスロースローなのである。二人の歩きとのスピード比較では断然負けているが、大休止をしない分前へ出れるのである。
11:47 北穂高着。初めて大休止をとった。景色を楽しみながらカレーを食べた。三日の夜に食べた長良川SAの海鮮掻き揚げ丼以来の米であった。今回は軽量化のために米は持ってはいない。しかし、胃が小さくなっているのかなかなか食べられず少し残してしまった。800円と高いのにもったいないことをした。天気予報では午後から雨が来るとのことであったので白出まで少し早めに頑張ろうとしたがもうスピードも出なくなっていた。昨日までの疲労が蓄積されておりかなり無理な状態に近づいていることがわかる。
15:00 白出のコル着。いよいよ明日はラストランである。体力、気力とも極限に近づいており時間はかかりそうだが最後まで頑張ろうと言い聞かせる。食欲減退のために食べ残してしまった食料を全て処分した。ラーメンにビーフンにクッキーに甘納豆に・・・もったいないが今の自分では10gの軽量化の方が重要なのである。穂高岳山荘の「燃えるゴミボックス」に救われた。山荘の便所にも救われた。洗面所が自由に使えるためにどろどろになった唯一のタオルを洗い、便所の裏手に回ってパンツ一丁になりゴシゴシと体が拭けた。時々、携帯を使う人が来たがお構いなしである。久しぶりに清潔感あふれるすがすがしい思いをした。明日のことをイメージしながら早々に横になるがこの日は何故か眠れなかった。浅い眠りの中で遅くやってきた雨の音を聞いていた。予報では明日も晴れである。

槍の肩の夜明け

中岳より穂高連邦を望む


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8月7日(月) 白出のコル〜西穂高〜上高地

起床(3:30)〜白出のコル発(5:08)〜天狗のコル(8:10)〜西穂高岳(11:07)〜上高地(15:00)〜ひらゆ乃森〜
自然薯定食〜帰宅
【実動10時間】

奥穂高への登りのしんどいこと!次々に抜かれていく。「どうぞお先に」何度言ったことか。ゼ〜ゼ〜言いながら登っていく。馬の背の下降で二人の青年が苦労している。初めての岩場のようである。なんとなく初々しい。馬の背の下りの途中で先に行って下さいと言われた。私のセリフである。声が緊張のためか震えていた。これで天狗から間の岳を越えられるのだろうか。
久しぶりのジャンダルムの前に立った。飛騨側の正面ルートをザイルで楽しそうに登っているパーティーがある。どうやらガイド山行のようである。「そこで左に逃げるんじゃない。右からだよ」なんてつぶやきながら何年も前にザックを担いでノーザイルで登ったルートを目で追う。トラバースルートからそのままコブの頭へ向かおうとすると後ろから折角だからジャンダルムへ登っていけと初老の方から声がかかる。もうバテバテです、すみませんと変に謝りながらそのまま進んだ。なんで俺が謝まらなあかんねんとひとり苦笑い。
以前、ガスの中でジャンダルムのピークに立った時に初めてブロッケン現象を体験したことがある。手を広げるとまさにキリストであった。そんなことを考えながらコブの頭に達した時、足下を茶色の生き物が突然走った。オコジョである。はっきりと私を意識して周りを走りまわる。じっとしていると足下数十センチのところまで近づいてきて見上げる。なんてかわいいのだろう。そっとデジカメを取り出してキャッチした。そのデジカメも私の体と同じで北鎌尾根6Pの厳しい登りの途中で液晶画面が割れてしまってボロボロである。えらい出費になってしまった。
目の前には天狗岳・間の岳・赤石岳が連なりもう手が届くところに西穂高が見える。相変わらずスロースローと言いながらもくもくと歩む。歩くたびに足の裏がうずく。三日目から右足に二つ、左足に三つタコが出来ている。皮が破れないようにテーピングをしている。靴擦れ予防の為のテーピングも貼ってあるので靴下を脱ぐと両足ともテーピングだらけである。ありがたいことに右の足首は疲労のために通常の痛みよりはきついが我慢できない程ではない。これで快気の内祝いができそうである。
天狗のコル。あと三つ。天狗の頭。あと二つ。間の岳。あと一つ。ひとつひとつ数えながらピークを越えていく。間の岳から西穂高ピークの人々の姿がはっきりと手に取るようにわかる。いよいよゴールである。11:07 西穂高ピーク。

馬の背よりジャンダルム

コブの頭から西穂高・乗鞍岳

コブの頭 突然足下にオコジョがやってきた

西穂高岳到達


 

標識にさわったとたんに涙が溢れ出てきました。この歳で実動8〜12時間を四日間続けることは無理を承知の上で更に相当な決意のいることでもありました。骨折によるほぼ一年のブランクの中で決行する無謀さも承知しており誰に相談することもしませんでした。家の者にも単独行は伏せて出ました。なんとかぎりぎり気力だけで乗り切れたという感じです。無謀さはさておき目標をやり終えた自分をほめてやりました。しかし、これは基礎体力のある40代までのプランですね。結論から言えばやはり年寄りの冷や水でした。もうこりごりです。体重も出発当初77.6kg から下山直後は71.45kg にまで6kg も減っていました。今は順調に3kg 戻りましたが体にはよくなかったでしょうね。しかし、山をやっていて本当によかったです。やっていたからこそ体を震わせる感動が体験できるのですから。
驚いたことに、ピーク到達をMLに報告しようと携帯の電源を入れてセンター問い合わせをすると、なんと!11:04 に「そろそろ西穂高のピークですね。お疲れ様・・・・」と岡本会長のメールが飛び込んできたのです。あまりのドンピッタリのお出迎えに大変驚くと共に、この時、この瞬間を意識して頂いていることに深く感謝しました。
今回は完全幕営での縦走にこだわり続けそれももう終わりました。今後は小屋泊まりの貧乏沢組でもいいです。チャンスがあれば私の経験も使ってやって下さい。ただしスロースローに合わしていただけるなら・・・・です。

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